狂言って何でしょう?

狂言とは

奈良時代に宮廷音楽舞踊である「雅楽」と共に中国から渡来した、様々な大衆芸能を含んだ「散楽」から発展した「猿楽」の内、幽玄性が濃く抽象的で重厚な歌舞劇・仮面劇である「能」に対し、滑稽味が強く写実的で軽妙な科白劇・素面劇が「狂言」で、明治時代以降この二つを総称して「能楽」と呼ぶようになりました。
「能楽」は基本的に舞台セットを用いない日本最古の演劇の一つで、2001年にはユネスコの「人類の口承および無形遺産の傑作の宣言〈通称;無形文化遺産〉」の第1号(全世界で19件)に登録されたました。
狂言には独立した演目の「本狂言(ほんきょうげん)」と、能の曲中で一役を担う「間狂言(あいきょうげん)」とがあり、その役柄は神仏・宗教家・武士・商人・庶民・動植物など、老若男女を問わず様々なものが登場し、誇張表現された物語を展開します。
現在、狂言の流儀には山脇・野村・三宅の三派から成る和泉流と、宗家に茂山家・山本家を擁する大蔵流があり、明治までは鷺流がありました。

和泉流

江戸時代、幕府直轄であった大蔵・鷺の二流に対して、京都在住で禁裏御用を勤めていた山脇元宜が、同じく禁裏御用を勤めていた初世野村又三郎と三宅藤九郎を傘下に1614年に新たに興した流儀で、「京流」とも呼ばれていましたが、山脇が和泉守の受領号を受けたていたこともあり、幕末頃から「和泉流」と呼ばれるようになりました。
現在は宗家が不在のため1995年に結成された「和泉流職分会」において合議により組織・運営されています。
古雅な大蔵流に比べて、和泉流は演出面では歌謡を多用したり、意外性のある展開を見せたり、装束も変化や写実性に富んだ傾向があります。最大の特徴は創流当初以来、山脇・野村・三宅の各派が独自の台本を伝承しているため、同じ演目でも科白をはじめ登場人物の名称や人数、筋の展開や終末にも異同が多く見られる点です。
しかし、実際には交流は活発で共演をする機会も多く、上演に際しては相互の台本のすり合わせをしています。

野村又三郎家

和泉流三派の一つ。いわゆる野村派の当主の家柄。
元々は丹後国宮津の郷士で、呉服商を営んでいたと伝えられますが、狂言の家としての始まりは、17世紀初頭に京都周辺で活動していた群小派閥の一つであったと考えられています。
山脇元宜と共に宮中で舞台を勤めた縁から、1614年の流儀結成時に客分として迎えられ、以来流儀の一翼を担ってきました。
江戸時代を通じて、京都在住で禁裏御用を勤めながら、肥後細川藩と尾張徳川藩の御抱え(専属契約)の役者として各所で舞台を勤めてきましたが、明治維新後は新たな地盤を求めて大阪・東京へと居を移します。
震災や戦災の混乱で能楽界の名家の多くが絶える中、和泉流の三派では創流以来唯一中絶することなく続く野村家は十二世・野村又三郎信廣(1921~2007年)へと受け継がれ、戦後は古くから縁のある名古屋に本拠を移し、現在は十四世・野村又三郎信行を中心とする一門で、公演および幅広い世代への普及活動や指導をしています。

狂言に触れてみませんか?

お稽古へのお誘い

お稽古の様子 能楽堂での年1回の発表会に向け、レベルに合わせて狂言や謡・舞を仕上げていきます。
初心者の方も通な方も、性別・年齢・国籍・経験など一切不問です。

直門教場(個人稽古)

名古屋・北名古屋・東京目黒・三重伊勢・熊本菊池

カルチャーセンター(団体稽古)

中日文化センター・NHK文化センター